『小金井通信』Dシリーズ 2025年9月
数年前、大手生命に入社後、ニューヨーク勤務を経て営業職員に転換した優績者(1999年度から連続で契約高第1位を連続で記録。MDRT会員。1967年生まれ。CO大学法学部卒業)を取材した。自信満々・自由自在の話しぶりに「流石!」と感じたものの、ドラフト稿を提示すると「こんな記事を掲載するわけにはいかない」のひと言。いわゆるペンディングになった記事である。(取材・小柳博之)
S・Tプライムエグゼクティブデザイナーに聞く
●保険募集に携わるきっかけ
母は、大手生保のトップセールスとして長く営業職員を牽引してきました。母を助けるため、当初は公認会計士を目指しました。母のお客さまは企業経営者が多く、きっと役立つと思いました。公認会計士試験には3回チャレンジしました。合格発表まで3か月猶予があるため、日本では何もすることがなく、米国・ニューヨークに短期留学しました。
私は、就職先として大手生保を志望しましたが、もう一つ選択肢がありました。私の就職時代は、保険会社の垣根が崩れ、生・損保併売が解禁になりました。1998年秋、生保系損保と損保系生保が誕生しました。母は生保営業の雄ですから、私が損保会社に就職すると母の力になれるかもしれないと考えました。
母は役員にその旨を伝えると「大手生保も損保を設立する」と知らされました。私は、安心して大手生保を選択しました。
ニューヨーク勤務は、トレーニーの一環として、米国人の女性と一緒にニューヨークやニュージャージーに居住する日系企業を訪ねました。担当者が日本人以外のときは主に米国人が、日本人のときは主に私が受け持ち、棲み分けました。英会話による保険募集ですから、片時も息を抜くことはできません。米国は、多様な文化と国籍で構成されていることを知りました。一方、国籍や文化にかかわらず、人は皆同じだと感じました。
営業職への転換は、入社時から織り込み済み、既定路線でした。私は、ニューヨークの短期留学から、大手生保国際企画部に配属されました。海の者とも山の者とも分からない、私に賭けて下さった皆さまには感謝しかありません。その後、ニューヨークには、母の名代として、他社まで講演に出向きました。
帰国後、母のお取引先の子会社等の紹介を得ました。また、そうしたお客さまから、就職祝いとして関係先をご紹介して頂きました。母のネットワークから繋ぎ今日があります。
オリジナルマーケットは、ベンチャー企業です。帰国は1996年です。日本のITベンチャーは、1997年くらいから勃興します。大学時代に同級生から、女性のヘッドハントを紹介されました。その女性と意気投合し、20代後半から30代くらいの経営者を沢山紹介して頂きました。大企業のお客さまとITベンチャーのお客さまが礎になりました。
私の場合、SKと云う後ろ盾を背負っています。針の筵です。できて当り前で、「できません」は絶対に通用しません。必死の毎日です。ロールモデルは業界ナンバー1です。富士山の麓三合目くらいから出発し、頂上を見上げると、その頂きは高く、とても登り切れるとは思えません。
母はいつも傍にいます。最初からそれを目指すと息苦しく、息継ぎができません。当初は基準実働があり、勤続年数に応じて努力目標が課されました。それをクリアする中で、三合目から四合目へと一歩一歩登ってきました。
●もやもやの霧が一気に晴れる
入社7年目、営業職に転じて5年目に保険募集に目処が立ちました。米国時代は、固定給ですから楽しい毎日です。要するに、契約の有無に左右されません。ノーストレスに近いものです。帰国後は、フルコミッションです。ニューヨークで感じたことのないプレッシャーに苛まれます。振り返ると、嫌がらせも経験しました。保険募集の社会的地位が関係するとも考えました。母の華やかさとは一線を画すギャップです。母の手前、弱音を吐くことはできません。あるとき、ご紹介を得たお客さまをお訪ねすると「あなたの仕事は最低で始まり、最高で終わる仕事だね」と言われました。
率直に、その意味するところをお尋ねしました。お客さまは「あなたは今日、私が断れない先輩から紹介を得てやって来ました。そして、私が聞きたくない話をあれこれ話します。翻って言えば、私の考えたくもないリスクのさまざまについて提示する一方、保険によるリスク回避手段を提案しました。つまり入口は最低だが、エンディングは最高です」と、かい摘んで下さいました。
入社時に、私は母から「すべてはお客さまが教えて下さる」とひと言だけアドバイスを得ていました。その瞬間、これだと。母の真意がはらはらと伝わってきました。私が抱いていた、もやもやの霧は一気に晴れました。
私は、初対面のお客さまとはまっさらな気持ちで相対します。お客さまは、それぞれ物語るものがあります。たとえばノンバーバル(非言語)・コミュニケーションです。お客さまの眼差しや、肩や手の動きから何かが伝わってきます。保険募集に従事し約30年になります。お客さまのノンバーバルから仮説を立て、お話しを組み立てていきます。
私の募集取り扱いスタイルは、ソリューション型ではなく、プロダクト型に近いかもしれません。営業職員の募集取り扱いは、商品性だけで勝負することは難しく、ベスト・オブ・ベスト型ではなく、セカンド・ベスト型と言えるかもしれません。したがって、ネットワークを活用しお客さまにご提案することもあります。フリンジ・ベネフィット(経済的便益)、或いはプラス・アルファを加味したトータルな営業戦略です。法人のお客さまには、商品提案とフリンジ・ベネフィットを提供することでご満足頂きます。ソリューションとプロダクトが相半ばする募集活動なのかもしれません。
●ワンストップサービス
お客さまからは、損保分野に関するご相談も受けます。ワンストップ・ショッピングを希望する方たちも多くいらっしゃいます。高齢になるにつれ、そうした傾向は顕著です。 当社では、大手損保やAL社と業務提携しており、自動車保険やがん保険もご提案します。がん保険単品取り扱いのお客さまも、フルカバーのお客さまも同列です。お客さまを取扱高で区別することはありません。
●保険募集のトレンド変化
『新型コロナウイルス感染症』が発生しました。保険募集は様変わりしたと思います。私は、既存のお客さまがいらっしゃいますから、重ね売りすることもできます。一方、法人のお客さまを含めて非対面希望の方たちもいらっしゃいます。したがって、インターネット経由の取り扱いも行いますが、新たなマーケット開拓は不自由な環境です。高齢のお客さまにはZOOM対応は難しいですから、募集人をセグメントします。これは、私にとってアドバンテージです。ただ、インターネット経由の場合は、対面募集に比べて最後のひと押しが難しいと感じます。
●顧客本位の保険募集
保険募集人が消費者保護を遵守するのは、言うまでもないことです。しかし、過度な要求には注意を払わなければなりません。保険契約にも、自己責任は伴います。自由と責任はセットでなければなりません。全てについて説明を尽くすことはできません。
かい摘んだものです。たとえば、収入保障保険や就業不能保険、所得補償保険に入りたいといったお客さまニーズがあります。お客さまの話しを伺うと、保険の趣旨を理解しておらず、必要がないときもあります。選択肢を提示しますが、最終的な選択は自己責任に基づきお客さまに委ねます。
日本の社会構造は、自己責任論の表裏なのか、寛容さが失われたと感じます。誤った権利主張をよしとする風潮が見られます。当社では、お客さまと画面共有し信頼感を醸成するあり方に取り組んでいます。
●トップセールスの背中
幼少期のわが家は、母の母と父の父が同居する家族構成です。衣食住の担い手は、主に祖母だったわけです。母は、今風のべったりではありません。私たちは祖母と楽しく暮らしていました。そのぶん、社会人になってから、母とのべったりの生活がスタートしました。母は大人の扱いが巧みなほど、子どもの扱いは上手ではありません。結果的によかったと思います。母の子どもへの関心は、まじめに勉強しているかの一点です。私たち姉妹にとっては、母との程よい距離感はありがたかったと言えます。ただ、母の気持ちはよく分かります。自分が子どもの面倒を見ないから、働いているから成績が悪いと言われることを嫌ったと思います。
母はこのほど、営業の第一線から退きました。このとき「あなたたちはいつも損をしていなさい。損していれば間違いない」と言葉を遺しました。要するに、自らが損をすると誰かが得をするわけです。保険は、相互扶助の精神で成り立っています。保険商品は愛情の発露です。自らの得を優先する風潮に、私は懐疑的です。