『小金井通信』 2024年1月 ◆「月刊ライト」2008年7月号

【アーカイブ】「月刊ライト」2008年7月号  (取材・小柳博之)


 櫻田謙悟 損保ジャパン取締役常務執行役員
《プロフィール》さくらだ・けんご 1978(昭和53)年4月安田火災入社。数年間の損害査定部門勤務ののち企業営業部門へ。組合専従を経て国際金融部へ復職し、香港の外資系銀行で投資を学ぶ。アジア開発銀行に出向。4年後本社に戻り人事部、その2年後に社長室へ、初代IR室長として株式市場や投資家を踏まえ投資政策の整備に着手。時代は合従連衡へ突入し、第一生命との包括業務提携、日産・大成火災との統合に統合企画部長として携わる。平成14年7月損保ジャパン発足時は経営企画部長。経営企画部門には足掛け7年間勤務し、17年7月執行役員兼金融法人部長。19年6月取締役常務執行役員。1956(昭和31)年2月生まれ。早稲田大学商学部卒。


 保険金の支払い漏れという出口の見えない迷路に迷い込んでしまった保険業界、この状況から脱出し、ユーザーに健全な商品を提供するには一体どうしたらよいか。
 損保ジャパンでは昨年8月、革新企画室を新設し「リテールビジネスモデル革新プロジェクト(略称:PT―R)」に取り組んでいる。櫻田謙悟取締役常務執行役員を訪ね、「PT―R」のこの1年と今後の展開についてお話ししていただいた。 (取材=編集部・小柳)
 

――櫻田常務は、経営企画部門に長く携わっていますが、昨年から役員として「PT―R」担当となりました。「PT―R」推進事務局である革新企画室の業務と意義からお話ししてください。
櫻田常務: ご承知の通り、当社は一昨年業務停止命令を受けました。私は、このとき金融法人部長でしたが、お客さまに謝罪する中で業務停止命令をどう受け止めるべきか、また若手社員のモチベーションや業務の効率化等について考える日々でした。
 そして、私は昨年夏、新たなリテールビジネスモデルの構築を目的として事務・システム・商品改革全般を推進するプロジェクト(PT―R)担当役員となりました。また革新企画室は、そのPT―Rの推進担当部署として昨年8月1日付で発足しました。
 業務停止命令は、商品とシステムの不具合から生じた保険金の支払い漏れも一因ですが、代理店や営業店では、この1年にわたって自主調査と是正対応に多くの時間を費やしてきました。これらを解消するためにすでに商品改定に着手していますが、PT-Rではそもそものビジネスプロセスも一から見直していこうと考えています。この1年間の取り組みは、今後の損保事業とも密接に関係します。

――とても興味深いお話ですから、少しかみ砕いてお話しいただきたいと思います。
櫻田常務: 損保業界は98年夏、規制緩和によって新たな時代に突入しました。リテール商品の自由化が始まったわけです。銀行、証券に次いで保険の自由化時代が到来しました。
 そして、この規制緩和がのちに何をもたらしたかですが、販売価格まで織り込んだ従来の商品から、損害保険料率算出機構が算出する参考純率を元に、個社の判断が一定の幅で認められる純保険料率を算出し、また自社の経営体力や効率性を踏まえ、付加保険料率を決められるようになりました。
 要するに、それまで業界同一だった保険料が個社ごとに差異が出るようになりました。ところが保険会社の競争は、単なる価格競争には向かいませんでした。何を目指したかといえば、顧客ニーズを加味した商品開発でした。
 ただし、今から振り返ってみると、このとき目指したのは真のお客さまニーズではなく、供給側のニーズだったわけです。結果、商品開発の名の下に、たくさんの特約が新たに生み出され、雨後の筍のように市場を席捲しました。
 これは、過剰なカバレッジ、つまり補償競争を誘発しました。また特約数が増えたことで、多くの事務処理とこれを支える、複雑なシステムが必要となりました。
 当時は、私たちはこれでよいと思っていました。                                                           しかし2005年になると、いわゆる出口問題が浮上しました。保険金が、当初お客さまに約束した通りに支払われていないことが明らかになったわけです。私たちは、積極的にお客さまの保険金支払い要求に応える態勢整備を急ぎました。
 この間、当社を含め主要損保に業務停止命令が出ました。さらに保険業法128条の報告徴求によって、保険金未払い問題は徹底的な調査を行うよう求められました。
 
――この話には後段もありますね。
櫻田常務: 保険金支払い問題が解決し、これで落着したと思いましたが、事はそう簡単ではありませんでした。
 冒頭でお話ししたように、今回の一連の問題では、本当にお客さまニーズを踏まえた商品開発だったかという根っ子があり、焦点はそちらへ移っていきました。
 つまり、出口の見直しから入り口の見直しへと展開していきます。ですから、新しい商品開発に入る前に、そもそもお客さまからいただいた保険料は正しかったかについて検証する必要がありました。
 この結果、問題が見つかり、現在、ご契約内容の適正性等について生損保業界を挙げて調査中です。当社も昨年年初から、自主調査を始めました。
 自主調査は、その結果に対して自己責任が問われますから、強制ではないからといって手を抜くことはありません。むしろ徹底的に調査を行わなければならないとの思いで取り組んできました。今年3月をもって、できる限り100%に近い形で過去に当社が引き受けた契約のうち是正の必要があるものについて調査を完了しました。
 こうした問題が起きた背景には、消費者や契約者の意識やニーズが変わったにもかかわらず、供給側主体の論理だったことが挙げられます。
 ですから、まず取り組むべきは、現在取り扱っている契約内容の確認と、保険金の支払いをきっちりやることでした。これには、一定のシステム開発コストを要しますが、必要なコストです。
 
――過去の過ちを正すことは大切ですが、将来にわたって同じ過ちを繰り返さないことも必要ですね。
櫻田常務: そうです。とくに契約時が肝心です。従来の考え方では、時代にそぐわなくなっています。今後は、商品改定ごとに新しい時代にふさわしい商品開発のあり方を示唆していきます。
 新たな発想による最初の商品は、今年2月にリリースした自動車保険『ONE-Step』です。①余計なものは省く、②誤解が生じる可能性がある特約やサービスは可視化しお客さまにビジュアルにご説明する、③保険料は必要かつ最小限にとどめ、いわゆる「ザ・自動車保険」を目指すというコンセプトでした。
 ひと口にいえば、過去の自動車保険と比較すると華々しさはありません。要するに〝これから自動車保険はこうなっていくはず〟という考え方を盛り込みました。火災保険も、こうした方向で考えていきたいと思います。
 「PT―R」は、商品のあり方も含めてこれまでの延長線上ではない考え方で検討しています。
 今後の損害保険事業について考えると、国内営業で年率2ケタ成長を確保することができるとは思えません。たとえば自動車の販売台数は、人口の減少等の影響もあって漸減基調です。保険分野で唯一拡大が見込めるとしたら長寿分野です。これは、長生きリスクをどう取るかであり、賠償責任リスクもある程度の拡大は見込めるものの、保険料全体に占めるシェアはわずかです。
 
――ということは、今後の損保の〝めしのタネ〟は果して何か、競争のあり方も気になるところですが……
櫻田常務: お客さま本位という観点で考えると、より簡素化した商品へという流れです。そうなると、各社ごとの商品の差異は少なくなるでしょう。
 つまり、リテール分野の商品はより均一化の方向をたどり、一般財に近くなると思います。単純に考えると、価格競争ですから、少しでも安いほうがよいわけです。
 一方、損害保険は補償を買い安心を得ることですが、これは、単に商品としての補償を買うだけではありません。補償にまつわるプロセスやサービスを買うことにほかなりません。
 したがって、今後の保険商品のあり方は、単純化した必要最小限の補償とそれにまつわるサービスをプラスして売ることです。「PT―R」の最大のコンセプトは、保険業から「サービス産業への転換」です。
 この考え方は、お客さまが求めているのは補償にとどまらず、それに関連する加入手続きの分かりやすさ、適切なアドバイスが得られるということです。たとえば自動車事故の場合、通常保険金をお支払いできるケースはよいのですが、事故の状況や契約内容等によって当社から保険金がお支払いできないような場合でも、事故が円滑かつ安心感を持って処理されるようアドバイス等を行い、お客さまから感謝されるといった例があります。これは、まさにサービス産業として機能している事例であると思います。
 「これだけサービスが整っていれば、他社より少々高くてもいい」というお客さまの評価があってもよいと思います。
 また、損保業界の場合、メーカーのように他社の追随を許さない、独占的な地位を保てる画期的な商品開発は難しいですから、他社より一歩先んじることによる先行メリットをどれだけ享受できるかの競争でもあります。
 
――的を射たお話だと思います。ただし、これを実現するとなると、そう簡単ではないはずです。
櫻田常務: 要は、どれくらい生産性を損なわずに厚いサービスを提供できるか、あるいは均一性が保てるかです。あるお客さまは満足、でもあるお客さまは不満では困ります。人の能力にはばらつきがありますから、これを解決する仕組みとしてはITに任せることでしょうか。
 私たちの仕事には、保険契約引き受けという営業活動があります。これには、必ず営業と代理店と双方で行う事務手続きが伴います。よく吟味すると、本当に人間が行わなければならないことばかりでなく、機械に代替させたほうがよい分野もあります。
 損保事業は事務の集合体ですから、これを簡素化、標準化したり、可視化したりすることが大切です。当たり前のことと思われるかもしれませんが、これは重要なことです。
 お客さまから選ばれるには、また競争に打ち勝っていくには、サービスの内容が問われます。他と差を図っていくには、徹底的に機械に任せることは任せ、人がやるべきことは血の通った言葉で、相手の気持ちを推し量って心のこもったサービスを提供することが必要です。
 今や、音声認識で話し手の感情がある程度把握できるコールセンターシステムも出来上がっていると聞いています。サービス産業の中で担うシステムの役割は、徐々に広がりつつあります。
 革新企画室は、お客さまから選ばれる会社になりたいというコンセプトと現実との相克の中で活動しています。単に背中を押すだけではなく、あるときは「ノー」という決断や役割が求められます。また推進困難と思われる局面でも、背中を押す勇気も必要です。
 つまり、リスクを取ることも求められています。                                          革新企画室には、営業・サービスセンター・商品開発・事務企画・ITの各部門の人材が集結し、お互いが切磋琢磨しながら将来のビジネスを考えています。
 
――まず何から着手したのでしょうか、進捗状況を含めてお話ししてください。
櫻田常務: この1年間、何をやってきたかですが、昨年8月に革新企画室を設立し、①サービス産業への転換、②ITの活用、③お客さま基点の徹底を打ち出しました。
 私たち保険会社は、これまで運命共同体として代理店と支えあってきました。私たちには、代理店が最大の関心であり、また対象でした。
 ところが、代理店と話しをすると、当然のことですが、彼らの関心の対象は保険会社ではなくお客さまです。代理店の日々の行動やシステム、あるいは事務処理をみると、お客さま主体です。
 ところが、当社の代理店システムや商品や事務処理がこうしたお客さま基点を反映しているかといえば、必ずしもそうではありませんでした。
 実は、お客さま基点の導入は、代理店から歓迎されます。また代理店と一緒になってお客さま基点を貫くことは、代理店が勝ち残るためにも欠かせません。こうした方向で代理店の何人かの方々と率直に話し合いました。保険代理店は〝やっと、そういった動きになってきたか〟とか、〝自分たちは保険の募集行為に従事しているが、その過半は事務に時間を割いている。本来、お客さまと接する中で行うコンサルテーションの時間が欲しい〟といった声が出てきました。
 意向確認実施後は、とくにこうした傾向が顕著になっています。しかし、「PT―R」の実現によって、こうした問題が凝縮され、正しくしかも速くという方向は大変ありがたいという支持を得ました。また事務に費やす業務圧縮の中で浮いた時間をどうするかという問いには、プロ代理店は生保などより時間をかけてお客さまとお話ししなければならない商品の販売に注力したいと答えます。
 お客さま基点は、実は保険代理店基点でもあるわけです。私たちがお客さまアンケートを行うと、保険代理店への信頼感を示すお客さまが圧倒的です。「今度家を建て替えるがどんな保険に入るとよいかをすぐに教えてくれた」とか、「事故のときはすぐにアドバイスが得られた」といった回答が多く寄せられています。
 一方、お客さまのライフスタイルが多様化する中、簡単なことであればインターネット等で、自分で手続きしたいというニーズも出てきています。たとえば、「住所変更」や「電話番号変更」等です。「住所が変わったくらいでわざわざ代理店に手続きのために来てもらうこともない」といった声です。
 PT-Rは、お客さま基点でビジネスを変えていきますが、私たちは現場の営業社員によく理解してもらうことが先決だと感じました。また代理店の理解も不可欠です。手を携えてやっていくわけですから……
 
――代理店は、たかが「異動」とはいっていられません。なぜかといえば、コールセンター等が介入すると、自分の存在意義が薄れてしまうおそれがあり、また顧客の契約情報が手元から離れることへの危惧や正確な顧客情報が得られなくなるという懸念もあると思います。
 
櫻田常務: その通りです。代理店は、本来業務以外はなるべくやりたくない、時間が足りないという思いとともに、自社のお客さまに今何が起きているか、あるいは保険会社からどういう情報がもたらされたのかを知りたいという気持ちも強いわけです。ですから代理店と保険会社は、お客さまに関する情報を共有することが不可欠です。しかもリアルタイムであることです。
 そのためには、システムを構築することも大事ですが、それ以前に、積極的に顧客情報を共有するための環境整備と互いの情報を開示し、共有する不断の決意が必要です。
 次に、契約手続きや保険金お支払いについて考えていることを少しお話しします。入り口である契約手続きは、自動車保険『ONE-Step』に代表されるリテール商品を中心に商品を分かりやすく、お客さまにとって必要にして最小限な補償内容であること、事務手続きの簡素化です。現在は保険申込み手続きとは別に、意向確認シートを用いた意向確認手続きを行っていますが、本来は意向確認しながら保険設計ができれば、保険申し込みは完了したと考えるべきです。
 今後は、システムを使って、お客さまに簡便・納得いただけるプロセスを提供していく予定です。さらに将来的には、電子認証などを活用すれば保険証券をインターネット上で確認できるだけでなく、契約内容や支払いなど、お客さまがいつでも参照できるようにしていきたいと考えています。
 保険加入途中でのクルマの入れ替え、住所変更や電話番号の変更も極力ペーパーレスにし、インターネットで手続きできるようにしていきます。
 保険金支払いの改革については、お客さまに24時間365日安心いただけるサービスを提供するために、サービス体制を強化します。ここをしっかりやらなければいけません。必要な安心とは、事故が発生した当初に①支払い対象となるか否か、②事故後、当面行うべきことをしっかりと伝えることです。夜間にもかかわらず契約者から連絡が入るのは、事故現場でどうしたらよいか不安だからです。
 この二つをきちんと伝えるだけで、安心感は相当違います。しかしこれを全て人力に頼るとコスト増を招きます。その対応のためにITの活用を追求していきます。いくつかの先例がありますから、わが国の風土とお客さまのメンタリティーに沿ったシステムを構築していきたいと思います。
 
――導入時期についても言及してください。
櫻田常務: PT-Rは、09年下期を頃の実施を目標として現在検討を進めていますが、できるだけ早期に効果を発揮していく意味でも、除幕式のような展開ではなく、できるものから人順次実施していきたいと思っています。
 これまでの仕事のやり方、お客さまとの対応方法など、ビジネスシステムそのものを大きく革新する、当社としても重要な戦略の一つです。お客さま第一の視点を常に念頭に置きながら、保険代理店、社員にも支持されるようなものを創っていきたいと考えています。